あの陽の光の指す方へ

綺麗に咲き誇る花たち、あなたに捧げて

フィルターがかかる



別に悪いことじゃないんだけど、
何か作品を見たり聴いたりするとき、
この人の作品で、このようなような想いが詰め込まれていて、この人は今までこんなに頑張ってきてこの作品ができた。私が好きなこの人の作品なんだ。

みたいなフィルターがかかって作品を見てしまうのが嫌だなぁというか、本当のそのものに対しての感想が言えない気がして。まっすぐその作品と向かい合えない気がして。





というのは、ここ数年で嵐のファンになったというお友達。大野さんの個展に行った感想で、絵に引き込まれるなんて初めて!と言っていた。
確かに大野さんのアートは素晴らしい。練習して描けるものじゃなく才能溢れた作品なのだと思う。見てないからわからないけど。
でも、その人は多分、絵なんか今までまともに見てなくて、大野さんが描いた作品が展示されるから見に行ったのだろうし、大野さんの作品だから余計素晴らしく感じたのだと思うんです。
(大野さんを貶してはないです。大野さんの美的?芸術的?センスが素晴らしいことは十分承知で前提として話してる)
果たして名前も知らない人の絵だとしてここまで引き込まれただろうか。見に行っただろうか。凄いなぁと思って終わってしまうんじゃないかと私は思う。


でも、その素晴らしい作品は評価されるべきである。だからやっぱりフィルターは必要なんだと思うし、それも含めて作品なのかなぁと考えたりもする。


私は好きな人間がいるから、余計にそういう目線だけで彼らの作品を見てしまうのが嫌で嫌でしょうがない。
もっとラフに感じて良さを探しだしたいんだけどなぁ。難しいところです。
名前がないと探しだせないし、興味を持つのに時間がかかるのも問題だ。




できれば私はフィルターなしに良いものと出会いたい。