あの陽の光の指す方へ

綺麗に咲き誇る花たち、あなたに捧げて

どうしようもなく嵐が大好きです。

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昨年こんな記事をあげていたことはとうに忘れていましたが、嵐18年目の1年間は、私の中の『嵐』という存在と『嵐ファンの自分』をしっかりと確かめることができた1年だったように思います。





約5年前、中学生の私は今と変わらず嵐に夢中でした。


夢中だったあまりに”ある日突然嵐を失うかもしれない”という恐怖感なのか当時の心境は詳しくは覚えていないけれど、このまま嵐に依存していてはいけないと考え始めていました。


そこで親離れならぬ嵐離れのために私がとった行動は、「他のアイドルやアーティストを知る、ハマる」ということだったのですが、結果としてただのアイドル好きに成り上がっただけで、私にとって嵐は揺るぎないものすぎて、計画は失敗に終わりました。


数々のアイドルヲタクになった私が、どうにか嵐とその他のアイドル達の存在を確立させようとしたのが去年の1つ目の記事なのかな。
その頃「嵐ファンは肩書きだ」と言いながら、他のアイドルにも目をやってむしろ嵐よりも他のアイドル見ている時間が増えていたりして。なんとなーく嵐の通常運転の活動を追って、後は他のアイドルちゃんが持ってくるサプライズに一喜一憂しながら日々の生活をしていました。それでも嵐への愛は減ってはいなかったとは今振り返っても胸張って言えるんだけどね。


でもどっかでこれじゃダメだと思ってた。
嵐に対してこんなにも執着心があって、どんなことあっても結局一生離れられないなんて分かっているからって安心して他の色んな人に目をやって、肝心の嵐はなんとなくで活動を追うスタイルを続けていくなんて、あんな努力を重ねて忙しい日々を過ごしながら私含むファンに大きすぎるものを届けてくれる嵐に、毎日嵐のことを考えて活動も一つ一つちゃんと咀嚼してるファンの人たちに申し訳ないとまでは行かないけど、私だってそこそこ嵐の活動繁忙期にはちゃんとハマってはいたし、ずっと嵐は死ぬほど大好きで大切で憧れではあったけど、もっと嵐楽しめるしもっと知れるしもっと考えられるものだと分かりながらも、今だけかもしれない他を優先して嵐に対してもっとできる色々をしない嵐ファンの自分がちょっとだけ嫌だった。




そう分かって行動し始めたわけではないし、そんなことは頭の隅っこで見え隠れするくらいだったけど、この1年間で私はひたすらにこれまで見てきた嵐を今まで以上に振り返って、これまで見てきた今では過去になった嵐に対したの好きを確かめて、その上でやっぱり現在進行形で進化を続ける今の嵐が大好きだと叫んで、その結果しばらく抱え込んだ独りよがりの”嵐ファンである自分”との葛藤とはサヨナラが出来たと思う。



行動の一番大きなきっかけは恐らく『嵐に出会って10年が経った』ということ。

一つの人や物事を10年好きでいるなんてこれまでひとつもなかったし、大学受験終わって暇だし、自己満だけど嵐と過ごした10年振り返ろう!っていうなんともラフなノリで始めたことだったのだけど、結果として自分のどうでもいい思い込みがスッと解けて、自然に嵐とちゃんと向き合う時間が増えました。
そしてその向き合った時間の分だけ嵐が確かなものになっていくことを実感して、嵐ファンとしての歩み方もフワフワじゃなくて地に足つけて着実に踏めるようになった気がする。





私が嵐を好きになったのは小学生の時だったから、正直その時に嵐が置かれてる状況とか分かっていなくて多くを勘違いして過ごしてきたから、過去を振り返る中でちゃんと見てたけどその時は見えてこなかったことを、見逃していたことを、ちゃんと自分で知れたのがよかったかな。



その一つを具体的に言うと、事務所内外での嵐・特別待遇。

私が10年前から見ていた嵐は、日本のエンターテイメントのど真ん中を走り続けるスーパースターの姿でしかありません。常にメジャーであり、常に注目をされている。
そんな状況になり始めた瞬間に私は好きになって、嵐にしか目がない小学生はそれを”普通のこと”として受け入れていました。

今考えるととてもじゃないけど恐ろしいことだ。でも我ながらそう思ってたのも無理ないと思う。

だって最初は周りに嵐ファンなんて公言する人ひとりもいなかったし、たまたまお母さんが観ていたドラマを横目で見ててかっこいいと思ってた人が聞き覚えのある歌の歌って踊ってて好きだなって思って嵐っていう人たちだって知って、それからはテレビに嵐がいるから普通に見て、録画してた深夜番組もチロっと観たりして、お母さんがCD勧めてくれたから嵐のCDを手にし始めて、色んな嵐の曲を聴くようになって、そのうちに嵐のDVDがあると聞きつけたからゲオに探しに行って、お店の人に聞いたら嵐のライブDVD(紫のやつ)はレンタルされてないって知ったから誕生日プレゼントにしてもらって、最新の紫のやつが国立競技場のライブだったから何となくアイドルのライブってこういうもんなんだなって受け入れて見てたし、それからも国立っていう行ったことのない知らない場所で嵐はライブをしていてそれをDVDで観続けて、どうやったらいけるのかよく分かんないけど一生に一回は嵐のライブに行ってみたいなあなんて思いながら、相変わらず嵐は普通にテレビ越しでたくさん会えるから満たされてて、主演ドラマがあるから観て、番組も出てるから観て、CDも出たらしいから買ってもらったり少ないお小遣いで買ったり、小学生向けの雑誌に載ってたから買って、DVDも出たらしいから今度はお年玉で買いに行って、そうしているうちに気づいたら周りの人もみんな嵐が好きって言っていて、ちょっと誇らしげにしてる私もいたりして、私にCD貸して欲しいって言ってくる人が増えてたくさん貸したらボロボロになってきて、その中の何人かがファンだって言い始めてファンレター書くとかファンクラブに入るとか当たったからライブに行くとか気づいたら先越されてて、でも私は嵐が好きだから普通にしてたし周りは私が一番詳しいって私のこと、嵐のこと、何を知ってんだか知らないけどそう言われて、そうなんだあと思って、やっぱり普通の嵐との日常に戻ったんだけど、そのうちに自分も成長していて現代の最新技術を駆使できるようになって、いざそれを介して外の世界を見てみたら、自分はこれっぽっちも嵐のこと知らなかったし、ファンと言えるほどのことはしてなかったらしくて、自分が思ってた普通のことが本当はめちゃめちゃ凄いことで、嵐は私が日本中の人たちが近所のお兄ちゃん的な感じで慣れ親しんでいいような人達とは到底言えないほどの偉業を果たしてたし、でもそれでいて近所のお兄ちゃん的に親しむことも許されていて、よくわかんないけどとにかく人気者らしくて、普通に思ってた国立競技場のライブって誰もが知ってる大物のアーティストほんの数組しか行ってないらしくて、映像で初めて観たときに狭いなって思った東京ドームってところも多くのアーティストがもちろん嵐もいつかここでライブがしたいって夢見るような凄い広いところだったらしく、主演ドラマってやつもグループ全員が続いてやれるほど簡単なものじゃなかったみたいで、嵐の名前がついた毎週3つやってるバラエティーもどうやら普通ではなかったらしい。
 

普通に受け入れたことが全部普通じゃなかった。異例だった。異例すぎることらしかった。


その普通ではない”らしい”という事実も、”普通じゃない”とちゃんと理解できるまでに至って、嵐って凄いんだなと漠然とは思えるようになりました。いや、かなり嵐の大きさを身をもって感じて、その大きさに広まり方に疑問を抱いたり嫌気がさしたり色々思ったりして、迷いに迷って分からなくなったりもしてたかも。


この1年くらいだけでなく、自分が見始めた頃の嵐が起爆剤が放たれて大きな波に乗った時期だったことを知ってから、改めてその時期の嵐を振り返ったとき、自分が知らない時代の嵐の歩みと照らし合わせてその時期の嵐がどれだけ大きな進歩を遂げたのかについてただひたすらに凄いなあと思うのと同時に、昔と変わらぬ好きだな嵐って思えることがとんでもなく嬉しいんだな。
私は嵐を好きになった最初の数年間、知らないことが多くありながら、それに気づかぬまま、ただひたすらに嵐のいる日常を過ごしていたのだけど、確かにその時代の嵐を知っていて、観ていて、それを好きだと思っていた、その事実が確かめられたみたいで嬉しかった。



私がこれまで観てきた嵐はとんでもなく大きくて、彼らはもうとにかく凄い。すっばらしい人たち。
尊敬しているところがたくさんあるし、憧れの存在であるし、私がずっと愛情を深く注ぎ続けられる人たちであり愛を届けてくれる人たちであるし、私の永遠の目標として背中を追わせてくれる人たちで、今までもこれからもずっとずっと私の人生にい続けてもらわないといけない人たち。

彼らが現役アイドルとしての活動を終えるその時まで、私は地球のどこかで彼らをリアルタイムで観続けるだろうし、過去のスーパーアイドルとして語り継がれるようになった時でも、自分の人生その時々で彼らを味わい続けるんだろう。

ずっと嵐ファンかどうか知らないし、ヲタクなりの活動をいつか辞めるかもしれないけど、嵐という存在は私の中で永遠に特別であり続けるんだろうなあ。





最後に、嵐は生活の一部、日常、と言った1年長前の私。
2017年9月15日嵐が結成18年を迎えた今、私にとっての嵐の存在を表す言葉は





「嵐」




それでしかないなと思う。
語彙力がないからかもしれない。でも、嵐のメンバーがメンバーたちのことを友達でもなく仕事仲間ともちがう、嵐という枠が出来たと度々いうのを聞いて、これか!!と思った。
私にとって嵐は、1番好きなアイドル、応援したいアイドルという枠をとうに超えてしまって、申し訳ないけど他にも愛を注いでいるアイドルは私にとっての嵐の代わりにはなれなかったし、そういう点でも、嵐は嵐という名前の他に形容できない存在に達したのかなと思います。

きっと、”嵐”その名前が私が観てきた全ての姿を物語ってくれるはず。
















嵐の皆さん、結成18周年おめでとうございます。
18年とはとんでもない年数だと思いますが、長い間ずっと一緒に居続けても変わらぬ仲の良さと結束力で最高に美しい姿とパフォーマンスを見せてくれる皆さんには感謝の言葉しかありません。
いつもありがとうございます。そしてこれからもありがとうございます。

1年後には20年目突入!なんて言って、あちらこちらで盛大なお祝いを受けるのでしょうね。
私はそれをすごいな〜〜〜なんて言いながら呑気に観ていると思います。
この先、まだまだ挑戦を続けられることと思いますが、人の要求に答えつつも、嵐らしさをなくさず、でもそれに囚われすぎず、やりたいこととやるべきと思うことをやって5人で前進して、誰も観たことのない景色を見に行ってください。後輩たちには到底追いつけないところまで逃げ切ってね。終わるときは気持ちよくやりきったと言って欲しいです。

それから、一人の男性としても幸せもそろそろ得てもいいと私は思っています。それがなんなのかはそれぞれだと思いますが、皆さんが決めたことは全力で肯定したいので、大きな決断をした時には胸張って私たちに教えてくださいね。

これから先も忙しいことには変わりないと思いますが、お身体にだけはお気をつけて。もう若いとは言い切れない年に入ってきてるからね。

大好きです。

















最近で一番嬉しかったこれを置いておきます。